ここ4年くらい本当にずーっと、ゲスの極み乙女。を聴き続けてる。4年前くらい既にメジャーになってたけど、「オトナチック」のMVをYouTubeで見つけてからハマり、ファンになった直後くらいに例の文春砲が炸裂し、しかしその後も売れ続けて。。好きな曲は多いけど、「イメージセンリャク」のMVとか、マスコミ・世間の闇を歌でさらっと刺している感じがして好き。最新のアルバム「ストリーミング、CD、レコード」はレンタルが出るまで我慢できず、Amazonでmp3買ってしまった。「人生の針」のMVも50回くらいもう見てるような気がする。「ルミリー」「勝手な青春劇」「ハツミ」「サイデンティティ」「パラレルスペック」「ノーマルアタマ」「キラーボール」気に入った曲あげればきりがない。
Kentaro Memo
2020年6月1日月曜日
2014年1月24日金曜日
ゼロ・グラビティをみた
2013年末/2014正月は、暦通りのスケジュール、休日番もなく、夜間緊急対応もなかったので久しぶりにのんびりした年末年始であった。
年明けにずっと気になっていたゼロ・グラビティを一人で、24:00頃から開始のレイトショーに見に行った。気に入った。地球軌道上での事故から生還までの数時間のお話。本当のスペースシャトル計画は、STS-135 で終わったが、映画で事故に遭遇するのは STS-157 で シャトルの名前はエクスプローラ。ハッブル宇宙望遠鏡に主人公が開発した新しいデバイス?をつける or 修理する?のがミッション。中国の宇宙ステーション天宮(Tiangon)が、ISS並みに立派に完成していて、主人公は最後、この天宮にあった、神舟で脱出という、虚実ないまぜになったストーリーだけど、そんな小さなことはどうでもよい。
宇宙で事故がおきたらこんな感じなんかなー、とほんとに思わせる映像に、主人公が途中生きるのをあきらめかけるが、なんとか思いとどまったり、死別した娘のバックストーリーがあったり、また音楽もよかったりで、久しぶりに映画館でいい映画をみたと思った。
俺のお気に入りの映画「スピード」のヒロイン、サンドラ・ブロック。このゼロ・グラビティで、一番好きな女優さんになった。ジョージ・クルーニーも渋いし。この映画でも「パーフェクト・ストーム」みたいな役回りで。
最後、エンディングで、ライアンが地球に帰還して重力を感じ、生きている喜びを感じるシーン。だから、題名は「Gravity」なんだなと思う。でも、日本では正反対の「ゼロ・グラビティ」。口コミのサイトで、なんで逆の題名なんだと怒っている人がいて、まあ、その気持ちもわからいでもないが、私としては地球という星の上で生を実感したうえでの、無重力状態での死闘を描いている映画として「ゼロ・グラビティ」という題名はしっくりきている。
正月に一人2Dバージョンでみて、後日長女、長男を半分無理やりは3Dバージョンに連れていき、今日はIMAX版の3Dを一人で見に行った。IMAXはやっぱり迫力ある。ふつうの3Dより迫力あったような気がする。
Sit back, enjoy the ride, you gotta plant both your feet on the ground and start living life. Hey Ryan, it's time to go home.
年明けにずっと気になっていたゼロ・グラビティを一人で、24:00頃から開始のレイトショーに見に行った。気に入った。地球軌道上での事故から生還までの数時間のお話。本当のスペースシャトル計画は、STS-135 で終わったが、映画で事故に遭遇するのは STS-157 で シャトルの名前はエクスプローラ。ハッブル宇宙望遠鏡に主人公が開発した新しいデバイス?をつける or 修理する?のがミッション。中国の宇宙ステーション天宮(Tiangon)が、ISS並みに立派に完成していて、主人公は最後、この天宮にあった、神舟で脱出という、虚実ないまぜになったストーリーだけど、そんな小さなことはどうでもよい。
宇宙で事故がおきたらこんな感じなんかなー、とほんとに思わせる映像に、主人公が途中生きるのをあきらめかけるが、なんとか思いとどまったり、死別した娘のバックストーリーがあったり、また音楽もよかったりで、久しぶりに映画館でいい映画をみたと思った。
俺のお気に入りの映画「スピード」のヒロイン、サンドラ・ブロック。このゼロ・グラビティで、一番好きな女優さんになった。ジョージ・クルーニーも渋いし。この映画でも「パーフェクト・ストーム」みたいな役回りで。
最後、エンディングで、ライアンが地球に帰還して重力を感じ、生きている喜びを感じるシーン。だから、題名は「Gravity」なんだなと思う。でも、日本では正反対の「ゼロ・グラビティ」。口コミのサイトで、なんで逆の題名なんだと怒っている人がいて、まあ、その気持ちもわからいでもないが、私としては地球という星の上で生を実感したうえでの、無重力状態での死闘を描いている映画として「ゼロ・グラビティ」という題名はしっくりきている。
正月に一人2Dバージョンでみて、後日長女、長男を半分無理やりは3Dバージョンに連れていき、今日はIMAX版の3Dを一人で見に行った。IMAXはやっぱり迫力ある。ふつうの3Dより迫力あったような気がする。
Sit back, enjoy the ride, you gotta plant both your feet on the ground and start living life. Hey Ryan, it's time to go home.
2012年6月2日土曜日
アラン 幸福論
日経ビジネスオンラインで見つけた連載。アランのエッセーが一日、一話ずつ連載されています。アランは20世紀初頭のフランスの哲学者。「幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ」というフレーズが有名らしい。日本語訳/文庫本も多く出版されていて、私は集英社文庫を買ったのだけど如何にも、哲学の本の直訳って感じでちょいと読みづらい。
この幸福論自体は新聞のコラムに出された文章のまとめで一般向けの文章で難解なものではないはずなのだが、フランス語を間違い無く翻訳するとこうなっちゃうのかもしれない。 日経ビジネスオンラインの連載の訳はわかりやすい。
他にも 「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」とか。なるほど。俺、気分屋だからなー
アランは行動する哲学者ということで、エピソードとして、46歳で兵役義務はなかったにもかかわらず、そして戦争を憎んでいたにもかかわらず、しかもアンリ四世校という名門中の名門の学校で哲学教師の職を得ていたにもかかわらず、第一次世界大戦に志願して従軍しました。それも、アランの年齢と地位に配慮して後方任務が用意されたのを断り、重砲兵を希望して前線に赴いたり、ドレフュス事件(1894年)の際に、スパイ容疑をかけられたドレフュス大尉を擁護し軍部を攻撃する論陣を張ったりしたそうです。
あと、大学の教授資格を持ちパリ大学の教授になることも可能だったのに、終生リセ(高等中学校)の哲学教師であり続けた点も特徴的とのこと。
まだ、半分も読めてないですが、面白い興味深い文章です。
「不安なんて、胃痛とおんなじなんだから我慢すればいい and とりあえず行動しなさい」「深呼吸すれば気分も落ち着く」的な。。 うまく言えませんが、まあ、こんな雰囲気です。根性論とはもちろん違います。
後、日経の記事で、以下のことも初めて知りました。お国柄ですね。
以下、日経のサイトより。
「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」毎日読むアラン『幸福論』
「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」。アランの『幸福論』の有名な一節です。アランはリセ(高等中学校)の哲学教師でした。『幸福論』は、教師生活の傍ら、1906年から1914年まで「プロポ(哲学断章)」として新聞に毎日連載されたものが基になっています。日本でも愛読されてきた『幸福論』を、翻訳家、村井章子さんの新訳でお届けします。落ち込んだときや、心が“折れた”と感じたときに、ぜひ読んでみてください。そんなネガティブな感情がすうっとなくなり、いつの間にか自分だけの幸福感を味わえるようになると思います。
アラン
本名エミール=オーギュスト・シャルチエ。
1868年フランス北西部のノルマンディー地方に生まれる。
哲学の教師としてフランス各地の高校で教鞭を執った後、41歳で名門アンリ四世校に赴任し退職まで教える。1903年「ルーアン新聞」に「日曜日のプロポ」の連載を開始。プロポの中から幸福に関するものを選んで編まれたのが『幸福論』で、1928年の第2版には93編が収録されている。(参考文献:NHKテレビテキスト「100分de名著」の「アラン幸福論」) 村井 章子(むらい・あきこ) 上智大学文学部卒業。訳書にミル『ミル自伝』、フリードマン『資本主義と自由』、メーリング『金融工学者フィッシャー・ブラック』、ラインハート、ロゴフ 『国家は破綻するーー金融危機の800年』、ガルブレイス『大暴落1929』ほか多数。
この幸福論自体は新聞のコラムに出された文章のまとめで一般向けの文章で難解なものではないはずなのだが、フランス語を間違い無く翻訳するとこうなっちゃうのかもしれない。 日経ビジネスオンラインの連載の訳はわかりやすい。
他にも 「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」とか。なるほど。俺、気分屋だからなー
アランは行動する哲学者ということで、エピソードとして、46歳で兵役義務はなかったにもかかわらず、そして戦争を憎んでいたにもかかわらず、しかもアンリ四世校という名門中の名門の学校で哲学教師の職を得ていたにもかかわらず、第一次世界大戦に志願して従軍しました。それも、アランの年齢と地位に配慮して後方任務が用意されたのを断り、重砲兵を希望して前線に赴いたり、ドレフュス事件(1894年)の際に、スパイ容疑をかけられたドレフュス大尉を擁護し軍部を攻撃する論陣を張ったりしたそうです。
あと、大学の教授資格を持ちパリ大学の教授になることも可能だったのに、終生リセ(高等中学校)の哲学教師であり続けた点も特徴的とのこと。
まだ、半分も読めてないですが、面白い興味深い文章です。
「不安なんて、胃痛とおんなじなんだから我慢すればいい and とりあえず行動しなさい」「深呼吸すれば気分も落ち着く」的な。。 うまく言えませんが、まあ、こんな雰囲気です。根性論とはもちろん違います。
後、日経の記事で、以下のことも初めて知りました。お国柄ですね。
フランスは哲学教育に力を入れていることで知られ、リセの最高学年になると、人文系を選んだ生徒は週に8時間(!)、理数系でも週4時間は哲学を学ぶことになっています。しかもバカロレアと呼ばれる大学入学資格試験では、哲学の占める比率が2割とかなり高い。哲学は日本よりずっと重みがあるのです。
以下、日経のサイトより。
「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」毎日読むアラン『幸福論』
「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」。アランの『幸福論』の有名な一節です。アランはリセ(高等中学校)の哲学教師でした。『幸福論』は、教師生活の傍ら、1906年から1914年まで「プロポ(哲学断章)」として新聞に毎日連載されたものが基になっています。日本でも愛読されてきた『幸福論』を、翻訳家、村井章子さんの新訳でお届けします。落ち込んだときや、心が“折れた”と感じたときに、ぜひ読んでみてください。そんなネガティブな感情がすうっとなくなり、いつの間にか自分だけの幸福感を味わえるようになると思います。
アラン
本名エミール=オーギュスト・シャルチエ。
1868年フランス北西部のノルマンディー地方に生まれる。
哲学の教師としてフランス各地の高校で教鞭を執った後、41歳で名門アンリ四世校に赴任し退職まで教える。1903年「ルーアン新聞」に「日曜日のプロポ」の連載を開始。プロポの中から幸福に関するものを選んで編まれたのが『幸福論』で、1928年の第2版には93編が収録されている。(参考文献:NHKテレビテキスト「100分de名著」の「アラン幸福論」) 村井 章子(むらい・あきこ) 上智大学文学部卒業。訳書にミル『ミル自伝』、フリードマン『資本主義と自由』、メーリング『金融工学者フィッシャー・ブラック』、ラインハート、ロゴフ 『国家は破綻するーー金融危機の800年』、ガルブレイス『大暴落1929』ほか多数。
2012年5月24日木曜日
太陽のリング
2012年5月19日土曜日
2012年の金環食 - 時間旅行 - WONDER 3
アルバム「WONDER 3」は、Wikipediaによると、1990年11月1日にリリースされたものらしい。 俺は大学1年で、第一回加古川レガッタに向けて、淀川の合宿所でボート部の秋合宿をしてたはずだ。 クラブも楽しいし、大学生活も楽しいし、何もかもが新しい体験ばかりで楽しいって感じの頃。 大学時代は、最初は大阪の実家より通学していたがクラブが忙しくなり、親に頼みこんで仕送りをしてもらい、 神戸で一人暮らしを始めたころ。安アパートだったけど、おしゃれな街神戸の一人暮らしにうれしくって、 彼女いない歴20年なのに、可愛い彼女できるかなー?とわくわくしてた頃。
このCDはすぐに買いに行って、カセットテープのWalkmanで学生時代の6年間ずっと聞いてたと思う。 このアルバムの中のお気に入りは、やっぱり「笑顔の行方」。でも、「OPEN SESAME」から 「戦いの火蓋」にそのまま入って「さよならを待ってる」「KUWABARA KUWABARA」「Ring! Ring! Ring!」 へとつながるこの流れ全体が大好きだった。
このアルバムの一番最後に「時間旅行」っていう、とても気持ちのいい曲があって、
歌詞の中に
指輪をくれる?
ひとつだけ 2012年の
金環食まで待ってるから
とびきりのやつを
忘れないでね
ってくだりがあります。
その時は、「ふーん、2012年には金環食があるのかー」ってくらいしかおもってませんでしたが、 それって、あさっての月曜日なんですね。金環食が近づき、Web上でいろんな記事が出回り、そして、この ドリカムの曲に言及している記事も結構あって、俺がこれに気付いたのはつい先週なのですが なんだか無性に懐かしく、嬉しくなりました。
大学時代から30代前半にかけては、ほぼドリカムしか聴いてなかったくらいにファンだったのですが それ以降は、Love Psychedelicoとか、宇多田ヒカルとか、アラフォーの最近は、椎名林檎/東京事変 へとまあメジャーなところばかりですが好みも広がり、特にこの1,2年はあまりドリカムは聞いてなかったし、 俺は、ドリカムの中でも気に入った曲ばっかり、繰り返し聴くたちで、その曲の中にはこの「時間旅行」 は入ってませんでした。
だから、「時間旅行」の中に金環食がうたわれていることなんて、すっかり忘れてて タイムカプセルでも開いたような感覚です。お、まさに時間旅行。
嫁さんが子供用に、日食観測のサングラスを先日買ってきました。 子供たちが今度の金環食を楽しみにしています。 歌っていうのは、いいものですね。
この曲から触発されて、俺とおんなじように、この20数年の流れに思いを馳せているひとはは多いみたいです。
2011年7月7日木曜日
オーランドより帰国
帰国して一カ月経とうとしていますが、オーランドBlogの締めとして、帰国について記しておこうと思います。
メンバーの入れ替わり時期は大体、近くのレストランで送迎会をやっていたのですが、今回は5月の中旬から、6月にかけて連続で五月雨式にメンバーが帰国することになっていたので、お別れパーティは、6月初めにアパートの一室でやりました。お寿司のTakeoutと、現地の男性と結婚して米国在住・オーランドオフィス勤務の女性が料理してくれた手料理です。まあ、会社の不満をネタに夜中の1時近くまで。
5月中旬からは、メンバー入れ替わりに関しての社内諸事情で、ほとんど休めない状況でした。そのため、帰国という一大事なのですが、一気に帰国日当日がやってきた感じです。「え、ホントに明日帰るん?」って感じで最終日がやってきました。
帰国のチケットは、会社が委託している旅行会社を通じて取りました。5月初旬に購入済みで、もちろん今は e-チケットなので、メールに添付されたものを念のために印刷して、空港に向かうだけです。
決して旅慣れた訳でもないのですが、家族旅行でいろいろと家族の世話をしたのもあり、米国生活で「まあ、何事もなんとかなるだろう」と感じるようになったのもあり、自分の帰国に関しては、とりあえず空港いって考えようって感じで、実際、何も調査などはしませんでした。
日本人の営業・運送担当の方と、プエルトリコ人?の助手の2人が手際よく、私の荷物を段ボール詰めしてくれました。この日本人の運送担当の人は、ずっと私たち会社の担当をされていて、数十回、マイアミからオーランドへのドライブを経験されているとのこと。
アメリカ暮らし長くて、仕事上の必要性からかスペイン語がペラペラでした。話の面白い人で、
なんでも、オーランドの特に私たちのアパートの付近は、プエルトリコ人が非常に多く住んでいる地域だとか、いろんな話をしてくれました。パスポート/VISAのコピーも、運送会社の方に託しました。
6月07日(火)06:44 オーランド国際空港発
6月07日(火)09:52 サンフランシスコ国際空港 飛行時間 6時間8分
6月07日(火)11:22 サンフランシスコ国際空港
6月08日(水)15:15 関西国際空港 飛行時間 11時間53分
----------------------
6/13(月)より、懐かしの梅田のオフィスへ通勤しています。
<総括>
メンバーの入れ替わり時期は大体、近くのレストランで送迎会をやっていたのですが、今回は5月の中旬から、6月にかけて連続で五月雨式にメンバーが帰国することになっていたので、お別れパーティは、6月初めにアパートの一室でやりました。お寿司のTakeoutと、現地の男性と結婚して米国在住・オーランドオフィス勤務の女性が料理してくれた手料理です。まあ、会社の不満をネタに夜中の1時近くまで。
寿司のお店はオーランドにはたくさんあるようでしたが、日本人が 調理、あるいは少なくとも経営していると思われる店のお寿司はそれなりに美味しかった と思います。オーランド終期に教えてもらった、スシオロジーって、テイクアウト中心の店 で買いました。安くて旨かったです(http://sushiology.net/)。ネーミングがいまいちですが。。 |
帰国のチケットは、会社が委託している旅行会社を通じて取りました。5月初旬に購入済みで、もちろん今は e-チケットなので、メールに添付されたものを念のために印刷して、空港に向かうだけです。
決して旅慣れた訳でもないのですが、家族旅行でいろいろと家族の世話をしたのもあり、米国生活で「まあ、何事もなんとかなるだろう」と感じるようになったのもあり、自分の帰国に関しては、とりあえず空港いって考えようって感じで、実際、何も調査などはしませんでした。
【引越】
6/4(土) に会社が契約している、日通さんがアパートに荷物を取りに来る。フロリダのマイアミ支店から荷物を取りに来るので、私たちの会社のメンバーの引越のたびに、数百キロの道のりをトラックで飛ばしてやってきます。日本人の営業・運送担当の方と、プエルトリコ人?の助手の2人が手際よく、私の荷物を段ボール詰めしてくれました。この日本人の運送担当の人は、ずっと私たち会社の担当をされていて、数十回、マイアミからオーランドへのドライブを経験されているとのこと。
アメリカ暮らし長くて、仕事上の必要性からかスペイン語がペラペラでした。話の面白い人で、
なんでも、オーランドの特に私たちのアパートの付近は、プエルトリコ人が非常に多く住んでいる地域だとか、いろんな話をしてくれました。パスポート/VISAのコピーも、運送会社の方に託しました。
【帰国】
6/6(月)20:00にオーランドでの勤務を終了し、その夜は駐在メンバーの皆さんと近くのレストランで晩飯を食いました。翌日は、6:44発の飛行機で、寝坊するとシャレにならんので、会社借り上げのアパートの掃除を徹夜でしました。- 夜中の4時前、アパート出発
家具は全部備え付けなので、そのままです。 |
- オーランドオフィスに立ち寄り、オーランドにまだ残っている人のデスクにアパートの鍵、携帯電話等を託す
- 空港到着し、自動チェックイン機でチェックイン
オーランドのUnitedのカウンター。自動チェックイン機で勝手にチェックイン。 関空までのチケットが全部出てきました。eチケットは特に使わず。 |
- 保安検査を通過し、モノレールに乗り、飛行機にある程度近づいたところで朝飯。朝5時すぎ。
![]() | |
保安検査を通過し、モノレールを降りたところで朝飯。 半年前、クリスマスツリーがあったところ。 |
- 飛行機爆睡すると思ったがそれほど眠れず、サンフランシスコ国際空港着。昼間の飛行だったので、景色がよく見えました。グランドキャニオンっぽい風景がずっと見えてて、アメリカってのはやっぱかなり広大な国土だなと感じました。
- サンフランシスコ国際空港内の動線をちゃんと確認してなくて、空港内の表示を見て適当に動いたため空港のほぼ端から端まで歩きで動いてしまう。
- 今度こそ爆睡するかと思ったがそれほど眠れず、関西国際空港着
- 空港到着後、入国審査。予め引越屋さんにもらっていた税関申告書を記入し、税関係員に見せて別送品(引越の荷物)がある旨を申告しハンコをもらう。その上で、空港内の運送会社のカウンターにその書類を渡す。
- 空港バスで自宅最寄駅到着。6/8 18:00頃。
6月07日(火)06:44 オーランド国際空港発
6月07日(火)09:52 サンフランシスコ国際空港 飛行時間 6時間8分
6月07日(火)11:22 サンフランシスコ国際空港
6月08日(水)15:15 関西国際空港 飛行時間 11時間53分
----------------------
6/13(月)より、懐かしの梅田のオフィスへ通勤しています。
<総括>
- 業務上においては、英語での会話はほとんどなかった。一度だけ、インドのエンジニアに電話する羽目になって、そのときは必要最小限の会話で逃げ切りました。英語のチャットはよくしましたが、短時間で英作文をするので、有り得ない文法的間違いを多数やりました(未来の副詞と過去形の動詞を組み合わせて使うとか)。迷ってる時間も無いので、心臓に毛を生やして、超スピードで英作文して、エイヤとボタンを押す感じ。オーランドオフィスでの友人を作る活動を頑張ればよかったが、こちらもしなかったので、正直、英語力の大きな伸長はない
- とはいっても食事、買物は必須。こちらも正直英語が上手くなったといこうことはないが、英語しゃべれんでも緊張せずに、店員/ウェイトレスの対応は普通にこなせるようにはなった。
- 数週間の旅行ではなく半年もの米国滞在は、非常に貴重な経験になった。アメリカ(とは言っても、フロリダの一部分だけだが)の、庶民の生活の雰囲気を感じることができた気がします。
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ここ4年くらい本当にずーっと、ゲスの極み乙女。を聴き続けてる。4年前くらい既にメジャーになってたけど、「オトナチック」のMVをYouTubeで見つけてからハマり、ファンになった直後くらいに例の文春砲が炸裂し、しかしその後も売れ続けて。。好きな曲は多いけど、「イメージセンリャク」の...

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大学時代の一番のお気に入りのアーティストは、Dreams Come Trueだった。 確か、浪人だったか、高3だったかのころに、「笑顔の行方」 をラジオで聞いて そのメロディと吉田美和のあの気持ちいい声に一目ぼれして、学生時代は 毎年1枚のペースで出てくる、ドリカムのCDを...
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